かんだじゅんいち

衆議院議員・内閣府大臣政務官 神田潤一を 囲んで畳の大広間で 語り合いませんか?
当日は 神田潤一の 国政報告会に併せ 前職時代の上司
株式会社マネーフォワード 代表取締役社長CEO 辻 庸介 氏 との対談
「ミッション・ビジョンとアジャイル的なチャレンジが地域と中小企業を変える!」
も予定しています

(参加は無料、こちらのフォームもしくは神田事務所 0178-51-8866までお申し込みください)

かんだ じゅんいち

神田潤一

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PROFILE
プロフィール
1. 子供のころの思い出
弟と近所の友達と一緒にとにかく外で遊んでいる子供でした。鬼ごっこをしたり、森の中を探検したり、野球をしたり、犬の散歩をしたり。特に、晩ごはんを食べてから弟と二人で月明かりの中でよくサッカーをしたことを覚えています。暇さえあれば外で遊んでいたことや、弟と二人で広いグラウンドを走り回っていたことが、その後の長距離のスタミナにつながっているように思います。
中学校時代、弟と
中学校時代、弟と
2. 陸上競技(長距離)の思い出と学んだこと
陸上競技では中学から大学まで長距離に取り組み、大学時代には全国で3位に入賞しました。特に駅伝に熱中し、毎年青森県代表として大会に出場していましたが、前の走者が必死で駆け込んでくる、その「青森県」のタスキを受け取って走ると、不思議と思いがけない力が湧いてくるんです。
最後は大学を留年して、「東京大学」チームで箱根駅伝を目指しましたが、予選会で敗れ、出場は叶いませんでした。それでも、夢に向かってチームメンバーと走り続けた日々は、かけがえのない思い出です。
青森県代表として駆け抜けた青春
青森県代表として駆け抜けた青春
高校時代、青森県の駅伝メンバーと
高校時代、青森県の駅伝メンバーと
3. 大学時代(東京大学・米国イェール大学 大学院)の思い出
東大では、経済学部の小林孝雄先生のゼミで、当時最先端だったデリバティブと企業財務を学びました。文系の経済学部でも、微分積分を多用する難易度の高い内容でしたが、直感的な理解を大事にし、それを企業経営や市場分析に応用するという実務的な視点を学びました。
米国イェール大学に留学し、ビジネススクールの授業を受けた時には、経営分析やケーススタディが簡単に感じられ、ゼミで学んだことに感謝しました。
4. イェール大学 大学院とアメリカを見て思う事や思い出
留学時代にアメリカで感じたのは、多様性と愛国心のあり方です。世界中の国から様々な背景を持った移民や学生、労働者を受け入れ、その多様性をイノベーションの源泉にして成長を続ける国の逞しさを感じました。一方で、そうした多様な背景を持つ国民を一つの国としてまとめていくための歴史教育や偉人の崇拝など、様々な工夫をしていることにも気づきました。
そのアメリカが、近年、価値観の多様化や国民感情の分断により苦しんでいる姿をみると、国のかたちをつくり、それを維持していくことは難しいことなのだと改めて感じています。
5. 日本銀行に入行した理由と業務について(金融庁出向を含む)
タイ中銀で講演(2017年)
タイ中銀で講演(2017年)
当初は、漠然と「日本経済のために働きたい」という想いで日本銀行を志望しましたが、面接が進んでいくうちに、そこで働く先輩たちの使命感や責任感に触れ、「この組織で働きたい」と強く思いました。
最初の10年は、釧路支店で地域経済を調査したり、システム情報局でシステム投資計画を担当したりしましたが、後半の10年は金融機関の検査(日銀では「考査」と呼びます)を長く担当しました。
一番思い出深いのはリーマンショックの時です。私は外国金融機関の資金繰りのモニタリングを担当していましたが、毎日終わると「今日も金融システムはなんとか崩壊しなかった」と胸を撫で下ろす日々が3ヶ月くらい続きました。
日銀には、日本でそこにしかない仕事がたくさんあり、非常にやりがいのある23年間でした。
金融庁に出向した時には、金融とITが融合した新分野であるフィンテックの企画を担当しました。金融サービスがアプリやインターネットを通じて提供されるようになり、ユーザーに寄り添った使いやすいサービスになっていくダイナミックな変化を制度面から後押ししていく中で、フィンテックこそが金融の目指すべき道だと考え、出向が終わった直後にフィンテックをリードしていたマネーフォワードに転職を決意しました。
6. 世界の中の日本について(海外経験に基づいて)
世界の国から見て、日本は意外とリスペクトされています。古くは礼儀、武士道、日本料理。最近では、マンガやファッション、オモテナシ。国対国では色々な対立がありますが、個人のレベルでは、日本はソフトパワーでリスペクトされているんです。
一方で、言葉の壁もあって、日本からの情報発信とコミュニケーションは苦手なように思います。これからは自信を持ってコミュニケーションをしていくとともに、災害対策やクリーンエネルギー、少子高齢化対策など、世界の国々よりも先に直面している課題をしっかり解決し、それを強みにしていくような取り組みと情報発信が必要だと思います。
7. 趣味について
「歌うこと」と「走ること」です。
「歌うこと」は小学校の合唱部の頃からずっと好きです。自分の気持ちを乗せて思い切り歌えばストレスは吹っ飛びますし、誰かとハモるのも好きです。好きが高じて、合唱→カラオケ→オペラへと進化しています。
「走ること」については、何年かに一度マラソンを走り、最高は3時間2分ですが、最近ではもっぱらジョギングです。週に4〜5回、5〜6キロ走るのが習慣です。走っているといいアイディアが浮かんできたり、あの人に連絡をとってみようと思いついたりします。私にとっては、自由に発想を飛ばす「瞑想」のような時間になっています。
うみねこマラソン(ハーフの部)を完走
うみねこマラソン(ハーフの部)を完走
8. 青森県や日本の可能性について
青森県も日本も、海、山、湖、川など、自然が豊で四季が美しいふるさとです。その自然を大事にし、自然と共生する生活が根付いてきました。この伝統を活かして、クリーンエネルギーや地球温暖化対策、災害対策などで世界をリードしていけると思います。
もう一つの可能性は「人」だと思います。人口減少や少子高齢化が課題になっていますが、全ての人が自分の個性や特長を活かして働き、活躍することで、青森県や日本の社会や経済はもっともっと活性化し、伸びる余地が大きいと思います。
そうした可能性を信じて、その可能性を伸ばす制度づくりと工夫が重要だと思います。
神田潤一プロフィール
PROFILE
プロフィール
1. 子供のころの思い出
弟と近所の友達と一緒にとにかく外で遊んでいる子供でした。鬼ごっこをしたり、森の中を探検したり、野球をしたり、犬の散歩をしたり。特に、晩ごはんを食べてから弟と二人で月明かりの中でよくサッカーをしたことを覚えています。暇さえあれば外で遊んでいたことや、弟と二人で広いグラウンドを走り回っていたことが、その後の長距離のスタミナにつながっているように思います。
中学校時代、弟と
中学校時代、弟と
2. 陸上競技(長距離)の
思い出と学んだこと
陸上競技では中学から大学まで長距離に取り組み、大学時代には全国で3位に入賞しました。特に駅伝に熱中し、毎年青森県代表として大会に出場していましたが、前の走者が必死で駆け込んでくる、その「青森県」のタスキを受け取って走ると、不思議と思いがけない力が湧いてくるんです。
最後は大学を留年して、「東京大学」チームで箱根駅伝を目指しましたが、予選会で敗れ、出場は叶いませんでした。それでも、夢に向かってチームメンバーと走り続けた日々は、かけがえのない思い出です。
青森県代表として駆け抜けた青春
青森県代表として駆け抜けた青春
高校時代、青森県の駅伝メンバーと
高校時代、青森県の駅伝メンバーと
3. 大学時代(東京大学・米国
イェール大学 大学院)の思い出
東大では、経済学部の小林孝雄先生のゼミで、当時最先端だったデリバティブと企業財務を学びました。文系の経済学部でも、微分積分を多用する難易度の高い内容でしたが、直感的な理解を大事にし、それを企業経営や市場分析に応用するという実務的な視点を学びました。
米国イェール大学に留学し、ビジネススクールの授業を受けた時には、経営分析やケーススタディが簡単に感じられ、ゼミで学んだことに感謝しました。
4. イェール大学 大学院と
アメリカを見て思う事や思い出
留学時代にアメリカで感じたのは、多様性と愛国心のあり方です。世界中の国から様々な背景を持った移民や学生、労働者を受け入れ、その多様性をイノベーションの源泉にして成長を続ける国の逞しさを感じました。一方で、そうした多様な背景を持つ国民を一つの国としてまとめていくための歴史教育や偉人の崇拝など、様々な工夫をしていることにも気づきました。
そのアメリカが、近年、価値観の多様化や国民感情の分断により苦しんでいる姿をみると、国のかたちをつくり、それを維持していくことは難しいことなのだと改めて感じています。
5. 日本銀行に入行した理由と業務について(金融庁出向を含む)
当初は、漠然と「日本経済のために働きたい」という想いで日本銀行を志望しましたが、面接が進んでいくうちに、そこで働く先輩たちの使命感や責任感に触れ、「この組織で働きたい」と強く思いました。
最初の10年は、釧路支店で地域経済を調査したり、システム情報局でシステム投資計画を担当したりしましたが、後半の10年は金融機関の検査(日銀では「考査」と呼びます)を長く担当しました。
一番思い出深いのはリーマンショックの時です。私は外国金融機関の資金繰りのモニタリングを担当していましたが、毎日終わると「今日も金融システムはなんとか崩壊しなかった」と胸を撫で下ろす日々が3ヶ月くらい続きました。
日銀には、日本でそこにしかない仕事がたくさんあり、非常にやりがいのある23年間でした。
金融庁に出向した時には、金融とITが融合した新分野であるフィンテックの企画を担当しました。金融サービスがアプリやインターネットを通じて提供されるようになり、ユーザーに寄り添った使いやすいサービスになっていくダイナミックな変化を制度面から後押ししていく中で、フィンテックこそが金融の目指すべき道だと考え、出向が終わった直後にフィンテックをリードしていたマネーフォワードに転職を決意しました。
タイ中銀で講演(2017年)
タイ中銀で講演(2017年)
6. 世界の中の日本について
(海外経験に基づいて)
世界の国から見て、日本は意外とリスペクトされています。古くは礼儀、武士道、日本料理。最近では、マンガやファッション、オモテナシ。国対国では色々な対立がありますが、個人のレベルでは、日本はソフトパワーでリスペクトされているんです。
一方で、言葉の壁もあって、日本からの情報発信とコミュニケーションは苦手なように思います。これからは自信を持ってコミュニケーションをしていくとともに、災害対策やクリーンエネルギー、少子高齢化対策など、世界の国々よりも先に直面している課題をしっかり解決し、それを強みにしていくような取り組みと情報発信が必要だと思います。
7. 趣味について
「歌うこと」と「走ること」です。
「歌うこと」は小学校の合唱部の頃からずっと好きです。自分の気持ちを乗せて思い切り歌えばストレスは吹っ飛びますし、誰かとハモるのも好きです。好きが高じて、合唱→カラオケ→オペラへと進化しています。
「走ること」については、何年かに一度マラソンを走り、最高は3時間2分ですが、最近ではもっぱらジョギングです。週に4〜5回、5〜6キロ走るのが習慣です。走っているといいアイディアが浮かんできたり、あの人に連絡をとってみようと思いついたりします。私にとっては、自由に発想を飛ばす「瞑想」のような時間になっています。
うみねこマラソン(ハーフの部)を完走
うみねこマラソン(ハーフの部)を完走
8. 青森県や日本の可能性について
青森県も日本も、海、山、湖、川など、自然が豊で四季が美しいふるさとです。その自然を大事にし、自然と共生する生活が根付いてきました。この伝統を活かして、クリーンエネルギーや地球温暖化対策、災害対策などで世界をリードしていけると思います。
もう一つの可能性は「人」だと思います。人口減少や少子高齢化が課題になっていますが、全ての人が自分の個性や特長を活かして働き、活躍することで、青森県や日本の社会や経済はもっともっと活性化し、伸びる余地が大きいと思います。
そうした可能性を信じて、その可能性を伸ばす制度づくりと工夫が重要だと思います。